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昨日の母の日は、小学校の同窓会がありました。
私が留守と知っていた、カトリーヌは、カイト君と一緒に、前日プレゼントを持って来てくれました。 ![]() カトリーヌのお気に入りのお店のバームクーヘンを頂きました。 自分が美味しいと思うものをプレゼントしてくれるって嬉しいですね! お気に入りのお店があること、女性の品の1つだと思います。 カトーリヌは、ステキな女性になりました。 ![]() 1986年に出会ったカトリーヌは、まだ4歳でした。 歳月は流れ、カトリーヌが、ママになったのですから・・・ 出会ったときに、こんな日が来るとは、思っていたでしょうか? お庭で、無邪気に笑うカイト君とカトリーヌの優しい母の笑みに・・・ 幸せいっぱい貰いました。 ![]() 毎年、母の日に、カトリーヌは、プレゼンを贈ってくれます。 温かいメッセージカードも添えてくれます。 母になれなかった私に、カトリーヌは「母の日」をくれるんです。 ![]() カトリーヌは覚えているかしら?
元気な声で
「こんにちは!」 声がする方にも誰もいない 「わたしココよ!」 ここって言われても姿は見えない 「アナタは誰?」 南の方に若葉がふわぁ~とゆれた 「わたしは、風よ!」 木々の間から五月の薫りがした。 ![]() ココは、ウサギやリスが、住む森の玄関のよう~ 幾つになっても私の頭は、ファンタジー! この木戸の前を通ると、童話思考のスイッチが入ります。 *************** 私のウォーキングコース
私今年、大きい節目の50歳!
崖っぷちに立ってみたいと思っています。 今までやってきた夢中な時間に、大志を抱けば・・・ 崖っぷちから、飛べそうな気がします。 魔女のように~ ~Aspire 50~ *** **** ** 2006.04.08 ** * **** *** ** ** *** ** ** *** * ![]() 崖っぷちから落ちたのか? 気を失っていた訳ではないですが・・・ 6年経ってしまいました。 私の時間通帳6年分の記帳(貴重)
鉄道キャット 夜行列車のアイドル♪~
皆様もう御存知ですか 夜行列車の素敵な旅♪~ あのスキンブルと共に想い出作る 快適な旅を♪~ 車掌もポーターも駅長も 皆あちこち探す♪~ おいスキンブルはどこだ♪~ 奴がいないんじゃ出発できないよ♪~ 【CATS 『スキンブルシャンクスー鉄道猫』 より】 ![]() ■1992年 私は友人と、劇団四季のミュージカルCATSを観に行きました。 スキンブルシャンクスー鉄道猫を聞いたときに、私は「これだ!」と思いました。 aちゃんのエレクトーンコンクールの曲を探しに行ったわけでは、なかったのでしょうが・・・ そのあたりのことは、あまり記憶にありません、ただ始めてスキンブルシャンクスを聞いたとき スキンブルシャンクスの汽車が、汽笛を鳴らして、私の心の中に、入ってきたのです。 シュシュシュ♪~シュシュポポ♪~ シュシュシュ♪~シュシュポポ♪~ 真っ暗なステージに、大勢の猫の目が光り、歌がダンスが繰り広げます。 猫たちが、ドラム缶を組み立てて、どんどん汽車が出来上がって来ます。 それは、夢の世界でした。 楽しい気持が、体に溢れ出す感動は、今も覚えています。 私は、すぐに帰って、エレクトーンで弾いてみたくなりました。 エレクトーン1台で、ミュージカルが、出来るような気が、したのです。 それには・・・・
■1992年
店別大会で最優秀を取ってから、大阪大会の申込み用紙とタイムスケジュール表や、チケット申込みなどが、送られて来ました。 私は、初めての経験に少し戸惑いました。 店別大会に選ばれたのだから、代表と思っていたので、再度申込みが要ることや、出場に関して色々費用が、要るとは、思いもよらず・・・ 優秀賞になったものの、aちゃんのおうちの方に、申し訳なく思いましたが・・・ 大きな大会の立派なホールで出演できることに、喜びを持ち準備しました。 ![]() aちゃんを教室に呼んで、記入した光景が今もはっきり浮かびます。 ********************************************************** ☆エレクトーンを習ってよかったこと悪かったことなど・・・ 【エレクトーンを習ったから、努力することや、楽しいこと、嬉しいことが分かった。 悪かったことは、なにもない。】 ☆特技・趣味 【エレクトーンと体育が好き!】 <この質問だけ、aちゃんは、すぐにはっきり答えてくれました。> ☆自分自身のPRをして下さい。 【私とエレクトーンは、ずーと前からいっしょ! これからもぜったい離れたくないです。 「くまのプーさん」は最初やさしく、次はかわいく、最後は元気いっぱい演奏します。】 ☆演奏曲について(解説、イメージ、アレンジ、苦労したことなど) 【ディズニーの名曲を原曲の持つ魅力をそこなわないように、前半は原曲を意識して、作りました。 イントロの優しさを表す演奏が、一番難しかったです。後半はかわいらしさと元気いっぱいのアレンジにしました。前半と後半のつなぎが、苦労しました。全体にディズニーの夢のような感じを出してみたいと思っています。】 ☆出場に関しての抱負、その他 【エレクトーンフェスティバル地区大会に出るのが、去年からの私の夢だったので、代表に選ばれた時は、とても嬉しかったです。 今年は「くまのプーさん」のビデオもお母さんと一緒に探しに行きました。 何回も見て、くまのプーさんが好きになりました。 地区大会はみなさん上手な人ばかりだと思います、私もくまのプーさんと一緒に、一生懸命演奏したと思います。】 ☆好きな音楽のジャンル <省略> ☆現在までのレッスンコース及びコンクール出場歴<省略> ********************************************************** 10歳のaちゃんには、かなり難しい質問でしたから・・・ 私が殆ど、こう思うでしょ~、こんな気持ちになるよね~ ・・・とこんな風に誘導しながら、用紙を埋めていきました。 aちゃんのお母さんは、申込み用紙に貼る写真を数枚持ってきて、 あまり写真は撮ってなくって、いいのがないんですって、おっしゃって、 どれがいいか、私に相談してくれました。 私は、この用紙が、去年から頑張った証のように思い、コピーを取って残しました。 それが、14年も経ってこんな風に、表に出るとは思わなかったけれど・・・・ 申込みも無事提出し、「くまのプーさん」を本番までキープさせるレッスンが続きました。 とは言え、大阪大会の対策もなく、aちゃんには、今まで通り、のびのび楽しんで演奏させてあげたい気持ちだけで、当日を迎えました。 1992/7/12
前回から続きです・・・
aちゃんの流した涙で、マリアちゃんが言った・・・ 「先生が悪いんやん、もっといい曲弾かせてあげたらよかったのに!」 この一言に、コンチクショーと思った私でしたが・・・ aちゃんを最大に生かす編曲ができていなかった、私が悪かったのです。 だから、マリアちゃんの言った事は、当たっていたのです。 ![]() ■1991年 aちゃん(小学3年)に、合った、先ずは、選曲・・・子供らしく、夢があって楽しい曲! ディズニーの中から『狼なんか怖くない』 を選び、aちゃんが弾けるように、編曲しました。 そして、念願だった楽器店の予選会で、優秀賞 を受賞、次の本選では、奨励賞をもらえたのです。 奨励賞とは、順位は2位なのです。 この時は、入賞で十分嬉しかったので、奨励賞は、全く悔しくはなかったです。 なぜなら、aちゃんはまだ初級、他の人は、遥かに上級の難度の高い楽曲だったのです。 でも2位になれた、その時、私は、来年は絶対1位を、狙おうと思いました。 昨年もそうだったように、目標は高く持つべきなのです! 翌年・・・
■1983年~
音楽したい子この指止~まれ!で開いた教室は・・・・ 楽器店では、できなかったことを、私はやりたい放題夢中でやりました。 1年目から発表会は、 『バンビーノコンサート!』 テーマ曲も作りました。 ユニホームも揃えたり、大道具も作りました。 発表会の為に、レッスンしていたのですから、楽しかったです。 ■1989年~ そんな発表会に、楽器店からお花が届くようになりました。 発表会に来て下さった、ヤ○ハの営業のDさんは、最後まで観て下さって、 営業所に飾りたいから、舞台の飾りを、ほしい・・・ と私の発表会をDさんは、とても楽しい~とおっしゃいました。 その言葉は、好きでやっていたことを、認めてもらえた様で、私は大変嬉かったです。 Dさんは、その後、ヤ○ハのイベントに生徒を出場させてみては・・・と勧めて下さいました。 私は、どんなイベントなのかも全く分かりませんでした。 ただ、Dさんが、私の教室を推薦して下さったことが嬉しく、生徒を出場さすことにしました。 ■1990年~ 不公平がないように、中学生以上の生徒には全員案内しました。小学生は、弾けない子もいるので、私の独断で選びました。 その中に、障害を持つYチャンが居ましたが、リズム感も良く、エレクトーンが上手でした。 Yちゃんのお母さんが、初めて来た日のことを私は、今も鮮明に覚えています。 教室の説明をして、レッスン日を決めて、お母さんが帰る間際・・・ 「そうや、先生に、1つ話しておきますが、右手障害あるんです、 けどね、何でもできますから、よろしく!」 私は、「ハイ!分かりました」と言い、お母さんを見送りました。 その後、「・・・・????」今何言ったの??そんな重大なこと先に話しない? 私、もう引き受けたあとでした。 Yちゃんから私は、障害者と健常者の認識が、私の目からウロコが落ちるように無くなりました。 肝っ玉母さんの言った通り、Yちゃんはエレクトーンのリズム感も良く、もの凄く上達しました。 私は、Yちゃんを出場させてあげたかったので、Yちゃんに、出場するように言いました。 すると、Yちゃんと同じ学年のマリアちゃんが・・・ (^▽^)/「ワタシ!ワタシも出るぅ~!!!」と言いだしたのです。 マリアちゃんは、Yちゃんのお友達で、習い始めたばかりでした。 私は、心の中で正直・・・『おいおい、アナタは無理でしょ~』と思いました。 マリアちゃんは真剣だったので、Yちゃんもマリアちゃんと一緒なら2人で、頑張れるかなぁ~ そんな気持ちで、2人供に出場することにしたのですが、 マリアちゃんが出るのなら、もう一人出したい生徒が、私の頭をよぎりました。 その子は・・・ ![]() 私は、1980年に、夫(現在も夫)と結婚しました。 その時、エレクトーンの講師も結婚と同時に辞めました。 私には、5才下の妹がいますが、男兄弟はなく、家業の後継ぎの為に、 私は、小さい頃から、婿をとるものだと思って育ちました。 それには、抵抗はなかったのですが・・・ お見合いは、嫌でしたので、チビ・ハゲ・デブ・メガネ・・・・ 最初から断る条件を並べ上げてました。 大変失礼な条件ですが、当時の私は、これで、お見合いも減ると思ったのです。 それが、そんなに甘くもなく、母や叔母達は、次から次と、条件外の方を探して来たのです。 中肉中背、視力も良く、毛もふさふさある、方達と4回しました。 何が嫌とかじゃなく、断る理由もなく、私は、いつも無愛想な態度でした。 レストランでも「何食べますか?」 「何も要りません。」・・・ 1日中一回も車から降りずに、過ごしたお見合いもありました。 今思えば、なんて心の広い、貴殿達だったのでしょうかと・・・スミマセン。。。 夫は、5回目で・・・メガネをかけて、髪も○○の兆し有。(爆) ただ、夫だけは、私の想定外の行動取ったので、母に、どうだったと聞かれた時・・・ 「ン??????」暫し躊躇のこの返答で、あれよあれよと結婚。 そして誤解と錯覚のまま現在に至ってます。 今でも夫のコトは、よくわかりません(笑) 無限の宇宙のように・・・
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